通信「風の出口」



つながるcafé&つながる会通信 第6号 2017/10/1発行
テーマ『つながる』って何だ?    




 つながる          
               M

ひとりの気楽さ開放感
ひとりのせつなさ孤独感
人とつながることへの不安と恐れ
殻を破る勇気
出会いと環境の大事さ
みんなの優しさ暖かさ
穏やかな時間の流れ
私はここに居ても良いんだ
つながる安心開放感
生きる歓びと楽しさ
ありがとう
つながるcaféは私の居場所
つながるcaféはもう一つの私の我が家



  つながっている
                   ハトさん

今日も蒸し暑い。でも最近は雨が降ってばかりで夏らしくない。
夏の歌もあまり映えるような天候でもないが、とりあえず聴いている。
私は音楽が好きだ。物心つく頃から好きだったと思う。
とはいえ生まれた頃から10代位までに流行っていた歌は、私はあまり好みではないし共感も出来なかった。
昔は子供だった。経験不足だ。
でもそれは普通のことなのに、当時の私はその自分を許さなかった。
―¬―学生時代に先生が「人は軸を持つと、偏見を持たず自由な発想を持つことが出来る。」と言ってくれたことを思い出す時がある。
そこからすると昔の私は軸が無かったと言うことになる。
それは偏見とまではいかなくとも、自分や人や物事、好きな音楽までも自由で楽しめる視点を持つことが出来なかったと言える。心の視野が狭い状態で多くの歌を”受け取れない”となっていたのだろう。
先生からその話を聞いた時はよく分からず実感が湧かなかった。
だが今は、当時の歌、今の歌を両方楽しめる。
そうすると今の私は少なからず軸が出来始めていると言っていいかもしれない。
――音楽から、過去から今の自分を考えると思わなかった。
過去はもう終わったことだと思っていた部分もあった。
でも過去を見て、今と比較することで過去はちゃんと自分を支えてくれている。
あくまでも過去と今はしっかりつながっている。そう思うことが出来た。





 「つながり」というもの
                まばたくnyanko
 
 ふとしたことから太極拳を習うようになった。「自分の体の使い方」を発見していくためだった。
 「足の裏は床にふれている」と気づく。
 あたりまえのことなんだけど。
 でも、忘れてる。
 あるいは、ぼんやりとしている。
「そして、床は私の足にふれ返してくれている。」
地面が、重力が、私のことを支えてくれている。物理的に。
 私が自分の重さを地面にまかせればまかせるほど、地面からのサポートが大きくなっていくことを体感する。自然とのつながりを感じる。
 私が「自分の体を支えようとする力」を手放し、そうなることをゆるせばゆるすほど、わたし全体は地面を感覚している。ありゃ?
 「力」を手放したからといって「ふらふら脱力!」って訳じゃない。むしろ、私のからだは目覚めていて、流れを感じる。立っている感覚は、とてもパワフル。呼吸も自然。しかも、とっても楽!なんじゃ。こりゃ。
 ありゃ?私が支えようとしていたものは、いったい何だったんだろう?
 私は私自身をサポートしようとして「力」を使っていたけれど。その「力」を手放すことでよりサポートを受け取れるなんて・・・。
「力」は私へのサポートを邪魔していたってこと?!なんと?!
 
太極拳と出会って早5年。
 私の心の中で起こっていることも、こんなような感じのことなのかもしれないと思う、今日この頃です。






つながっていく
              エンパスやまびこさん

人は繋がっていく人もいれば繋がりが必要もない人もいる。
大切なものの順番は人によって違う。
私は、人と繋がっていなきゃいけないと思う人である。
同時に、人と違って、戸惑いをいつも感じる人である。

私は音楽が好きで、音楽活動にも参加してる。
私が音楽活動から離れていた時も、音楽活動は続き、その場の音楽は育っていった。
私は音楽が好きだが、音楽が育つというのは初めて目の当たりにする現象だった。
いや、経験として実感を伴ったのが初めてだった、というのが正しいか。
それまでは、音楽って一体感だと思ってた。
聞き手と演奏者の一体感。もしくは録音物と聞き手の同調。
そういうものが全てだと思ってた。
だが、その先があったというのを私は知らなかった。
自分が音楽活動を通じて経験して、初めて知った。

音楽活動は、人と繋がらなければできない。
そして、幸運にも、いろいろな人が音楽活動で繋がって、音楽とバンドは育っていった。
音楽の文化をリサーチする趣味があった者としては、これは幸運が重なれば文化になるのかもしれないと思った。
人と繋がっていく事によって、音楽活動はいろいろな姿を見せるのかもしれない。
この先もいろいろな事があって、紆余曲折はあるのかもしれない。
音楽活動がゆっくり文化になっていけばいいと願うのである。

そして考えたのは、人との繋がりとは、どういう事が出来たのか、が大切なのかもしれない。
些細な、何気ない事でも、今日は一皿だけ洗えたというだけでも、大切なことかもしれない。
人生なんて、何がどう起こるかなんて誰にも、自分にもわからない。
でも、好きな事にひたむきに熱中したことって、役に立つことが多かった。
迷惑をかけた人もいたし、拒絶された人もいた。
それでも、あきらめなければ、これからも誰かと繋がっていくのかもしれない。
そして、繋がった人達とどういう事ができるのか。
一筋縄でいかないと思うけど、挑戦していくしかないと思う今日この頃である。





自分と「つながる」ことで広がっていく可能性
                   
                    キャップ

caféのプログラムの1つに音楽活動がある。月1回地区センターの音楽室を借りて、参加者みんなで楽器演奏したり合唱したり、最近では曲作りをしたりしている。これまで数曲が作り出され、ご存知の方も多いだろうが、CDを制作し、YouTubeにて楽曲を配信、さらには集いの会やcaféの創立記念などのイベント時に皆さんの前で披露させてもらっている。
 僕はこのプログラムに参加していて、いつも不思議に思うことがある。
 毎回はじめに皆でやりたいことを提案してからスタートするのだが、(例えば「だいじょうぶの歌をやりたい」とか「Let It Beをやりたい」とか、ザックリと曲だけ決めておくのだ)、いざその曲を始めるとなった際、各々がなんとな~く演奏する楽器を手に取って、なんとな~く演奏が始まるのである。あたかも事前に打ち合わせしておいたかのように。念のためお伝えしておくが、誰がどの楽器を使うかは特に決めておらず、同じ曲を演奏するのであっても、その日その時で担当楽器が違うのである。
 何故このようなことが出来てしまうのだろうか。恐らく、そこには「何をしようとしても大丈夫」「何を思っても大丈夫」という一種の安心感が存在し、されにそれを皆で共有していることが要因としてあるのではないだろうか。
具体例を挙げると、「ピアノを弾くことも自由」「ピアノを弾かないことも自由」「弾きたいけど他の人に譲ることも自由」「弾きたいから他の人に譲ってもらうことも自由」「一緒に連弾することも自由」「疲れたから休憩することも自由」。さらに付け加えると、そこから派生する感情も自由。人前で演奏して恥ずかしいと思うことも、失敗したらどうしようと不安に思うことも、上手く出来なくて不満に思うことも、思い通りにいかなくて怒りを感じることも、失敗して悔しく思うことも、他者から批評されて悲しく思うことも。上手くいって嬉しく思うことも、ふざけ合って楽しさを感じることも、・・・・・
全てが自由なのである。
 そして、その自由さを享受することを自分自身に許すことで、自分と心が「つながる」のである。
 心が傷ついて自分の存在が脅かされそうなほどの恐怖を抱えている人は、心の箱に感情を押し込め固く蓋を閉ざして生きている。そのような人は、自分と心が離れ離れになっている。要するに、つながっていないのである。
 自分の存在を守る為に必死になって心の箱の蓋を閉じているのだが、もし仮に蓋が開くことを許してあげられれば、箱の中から自然と感情が飛び出してくるようになる。出てくる感情の中には感じたくない不快なものもあるかもしれない。再び蓋を閉じたくなるかもしれない。しかし、勇気を持って向き合えば「つながる」ことが出来る。
 音痴が故に長いこと人前で歌うことを敬遠してきた僕の場合、音程が外れたまま歌ってしまうことに恥ずかしさを感じるし、自分にもどかしさも感じる。実際上手く歌えなくて居た堪れない僕をcaféの仲間は寄り添うかの如く温かく受け止めてくれる。奇跡的に上手く歌えたら仲間が自分のことのように喜んでくれて、僕も嬉しくなる。様々な感情が自由を得て躍り出し、まるで僕の存在を祝福しているかのようだ。今では当たり前のようにヴォーカルを担う僕もこの体験が無かったら、恐らく今でも人前で歌を歌っていなかっただろうし、そんな自分を疎ましく思っていただろう。
 心が反応して感情が生まれ、それに気付き、感じる。そのことをただ認識するだけで、自分の存在に実感が伴い、行動の幅が広がっていく。つながるとは、閉ざされた扉を開け放ち、そこから流れ出てくる風を全身で受けとめるようなものなのかもしれない。きっとその“風”は、傷ついた心を癒し、本来各人が持ち合わせているはずの能力を最大限に引き出してくれるだろう。
 まさしく我々が切望していることに相違ない。   
 ―2017.8.10






 つながるカフェに通って
                      O
 
 私がつながるカフェを正式に利用させていただくようになってから半年ほどがたちました。
私がカフェを利用したいと思った理由は、それまで不規則な生活を送っていた私が規則的な生活を送りたいと思ったことと、もう一つは家族以外の人たちとの交流がなくなっていた私がそういう人たちとの交流をもちたいと思ったからです。
 一つ目の理由に関して、不規則な生活を送っていると朝早く起きるという習慣がなくなってなまけがちになりますが、カフェは十時半からと朝早くはありませんが、それでもカフェに午前から行く日は七時に起きて仕度したりしてそれなりに朝早く起きることができるようになりました。またカフェに通っていると疲れを感じることもありますが、しかしそれをプラスにとらえると、疲れを感じる分、体力を身につけることができました。
 また、二つ目の理由に関して私は自分から積極的に話しかけられず、周りの人たちとのコミュニケーションをとるのが苦手ですが、それでも周りの人たちが逆に積極的に話しかけてくれたり、また様々なプログラムに参加し共に活動するなかで、周りの人たちと話をする機会をもて、多くの人たちと交流をもつことができました。
 カフェに通うようになってから大変だと感じることもありますが、逆に不規則な生活を送っていたり、家族以外の人たちとの交流のない生活を送っていては得られなかったものを得られたと思います。




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座談会 -テーマ「つながる」―

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 「つながる」をテーマに座談会を開きました。つながるcaféのメンバーとスタッフの9名が参加しました。

――皆さん、こんにちは。これから座談会を始めます。「つながる」という言葉から、ふと浮かんでくることを、言葉にしていきたいと思います。

― 「つながる」って? ―

□ つながることを強く欲している自分がいます。つながりって言うと、自分と対象となる人やモノと関係性をもつイメージがあると思うけれど、自分が本当に求めているものはそういうことじゃないな。あくまでも「つながる」を求めている。

★ 私は「つながる」って言葉に苦しさがあって。一人でいても頭の中でいろいろ考えて、一人じゃなくなっている時があります。つながりすぎると、相手に対して「こうしなくちゃいけないな」ってなるところがある。それを減らしたら、つながりの意味が変わるんじゃないかと思っています。

Θ つながりたい気持ちと、つながることに伴う苦しさと、両方がありますね。

― 社会・地域とのつながり ―

△ 地域とのつながりは苦手です。回覧板を声もかけずに玄関の前に置いていくようになっちゃって、ひきこもってしまうというか、孤立してしまう。

◇ 社会とのつながりは、どこがゴールかわからないですよね。どこに接続すれば社会とつながることになるのか。僕は社会とつながらなきゃいけないと思っているけれど、社会っていうものが、すごくあやふやなんです。

□ 社会には予測できない面があって、それがゆえにおこる不安とか怖さがあって、つながっている感覚がどうしても得られないんです。

― 「つながる」は、人生そのもの ―

□ 僕の場合、自分が本当に求めていることは、楽しいとか嬉しいとかの快の感情ではなくて、自分の感情、たとえばイヤな部分、怒りとか、寂しさとか、それを今まではずっと抑えて生きてきたけれど、それを得ることもつながることだし、それを感じることによって自分がちょっと変わってくるのかな。自分のイヤな感情を排除しないこと、実はそれが本当に自分の求めていたことなんじゃないか、と最近思うようになりました。

● 今、お話を聴いていて、「つながる」は人生そのものみたいな感じがしました。喜怒哀楽の感情がうごめきながら、人生を感じました。
嬉しさや楽しさも感じ、負の感情も感じ、でもそれで成長するような。磨かれる感覚。もまれながら、磨かれながら、成長を感じる、というイメージ。それは、人とのつながりの中にあるもので、人の中に入らないと得られないもの。一人でいてもなかなか成長が難しい。人の中に入らないと変化がないんです。
 ひきこもっていた時期は、時間が止まった感覚があったんですよね。人生を生きていない感覚があったりして。人の中に入ると、なんか違うなって。自分が変化して、成長して、何だか人生みたいだな、と。

□ 僕の場合は、つながっていない感覚はすごくわかるんですけれども、つながっている感覚ってなかなか察知しづらい。一人でいると、人といるときより、自分のことがわからないんですよね。自分がどういう人間なのかがわからない、そういう感じがありますね。

― 人の中に入ると自分のことがわかる? ―

● 自分も一人でいたときはそうでした。でも人の中に入ると自分のことがわかってくる。

□ 僕は、人の中にいてもわからないんです。

● それでも、一人でいるときよりは、少しはわかる?

□ たぶんわかる。チャンスはすごく出てくる。というのは、人がいることによって僕の心が反応する。そこから感情が出てくる。僕はそれを封じ込めて生きてきたので、それを感じることで自分がわかってくる。これは自分一人だけでいると、なかなか出にくいことなんですよね。

△ 「つながる」ことで今感じているのは、一人では自分のことはわからないということ。人を通して自分の気持ちが湧いてくる。人と一緒にいるとか、人とかかわることで、自分の感情が湧いてくる。人といるとわずらわしくて疲れちゃうこともあるけれど、一人でいるとつながりのない淋しさがあるっていうのかな。

● 人の中に入ると、自分にはこんな一面があったんだ、というように、自分の知らない部分が見つかったりします。一人で家にいると、王様の気分になりがちで、現実離れみたいになっちゃう。でも、人の中に入ると、実際にはあれもできない、これもできない、現実の自分の姿がわかってくる。




◇ 人の中に入らないとわからないことって、いっぱいありますよね。この場所でどんなことに生きがいを感じる自分が出てくるのか、それを知るのが楽しくて、ここに来ているんだろうな、と僕は思うんですよね。
 一人でいると知識とか教養を得て、自分が変わったような気になるんですけれど、結局そういうのっていうのは、実践のトレーニングがいる。本で予行練習をして、実践は、人とつながって人と向き合っていく。

― 気づくことが「つながる」になる ―

□ 実は僕もそういう部分があります。なぜ自分は知識を得ようとするのか? なぜ社会でそれを試そうとするのか? その心の部分に気づける意味でも、この場所が大事なんじゃないかって僕すごく思うんです。
 僕の場合は、自分は全く価値のない人間だという思いがあって、それがあるがゆえに、いかにして人から見放されないようにするか、見捨てられないようにするか、その一つの手段としてスキルを身につけて「できる」ってことを見せる。実はそこに本当の自分が隠されていて、育っていた部分に気づける。育っていた部分と自分がつながる。

◇ 同じですね。ひきこもりになって一人でずっといる時間を経験して、昔の大変だった自分と、今の自分が、充実を感じる中でつながっていく。

― 自分の感覚、感情とつながる ―

☆ ものすごく充実して忙しかった時に、人とつながっているという心地良さを感じていたかというと、それは全くなかったなあ、と思ったんです。今は、全身全霊をもって苦しんでいて、そして全身全霊をもって楽しんでいるし、今の自分をすごく生きているなっていう実感があって、それはどこに所属したから、何とつながったからっていうことよりも、自分の中に大きな変化があったから。今まで自分の感覚や感情と自分がつながっていなかったのが、何かのきっかけでつながって、自分が体験すること全部に自分の感情が出てくるようになったから。

□ 僕にとってつながることは心の癒しで、その癒しというのは、ヒーリングミュージックを聴くとか、お茶を飲むとかそういうことではなくて、悲しいとか寂しいとか、不快な負の感情であっても、それを感じることが心の癒しなんじゃないかと思うようになりました。

― 助けを求めることも、つながること ―

○ 自分がつながるcaféに来るのは、来たくなかったら来ないので、来るってことは来たいんだなあと思うんです。仕事と違ってね。行かなきゃいけないってことじゃないから。

△ 自分は変なプライドが高くて、人に頼るっていうのが下手で、一人でやる苦しさっていうのは分かっていても、なかなか人に言えなかった。プライドや弱さをひとつポロッと言えたら、次から次へと出てきたっていう感じで、そうすると何か少し楽になって、自分の内面を話しても大丈夫なんだ、っていう感覚を持ち始めてから、本当に自分の中の気持ちを話せるようになったなあ。助けを求めることも、つながることのひとつかな、と思います。



――では今日の感想や、今の思いを話して終わりにしたいと思います。 

● もっと深い所まで掘り下げて話をしたくなりました。

★ 人とのつながりって、何なのかなあと思っています。だけど、自然の中につながることは、少し感じられるようになってきています。自分が存在している感覚、今ここにいる感覚を感じることで、私が人と会ったり話したりするときにやりがちなこと、思いがちなことが大分わかるようになってきました。そこが苦しいんだなとわかったので、それを少し手放していけたらいいな。

▽ つながるcaféは、自分とつながるために来ているという話をきいて、なるほどと思いました。

◇ 自分が能動的に楽しくcaféに来ることができるようになったのは、なぜなんだろう。何かがここにあるんだろうな、と思っています。

○ 自分は発言できなくて、ダメだな、caféに来ても自分から人に話しかけることができなかったりして、日々、ダメだなと思うことがあるんですけど。
ダメだなと思いながらもできることは、caféに来ること、こういう話し合いの場に積極的に参加することです。何とかできることをやっていきたいなと思います。

□ 僕は、つながることを強く求めて来たし、同時につながることが出来なくて、ものすごく苦しんできた人生だったなあって思います。おそらく最大のテーマなのだろうと思います。
つながるcaféに出会う前と今とでは、つながることに対しての捉え方が全く違っています。出会えたこと、本当にありがとうございました。

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編集後記
風の出口第6号は、「つながる」をテーマに原稿を募集し、座談会を開きました。読んでくださってありがとうございました。つながる会のホームページにも掲載しますので、そちらもぜひごらんください。






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