2019.3.31.発行
新しい風の入り口
はたと筆が止まる。何を書けばよいのだろうか。
テーマはいろいろ例示して頂いているが、ほぼ何を書いてもよいようだ。
とても自由で、余りにも自由で…。
つながるcaféに来て一年以上経つが「それ」がcaféなのかなと思う。この一年、いろいろな事があったが、その時々でcaféは私の中で大切な居場所だったように思う。ただそこに居るだけで受け入れられているような空気感がある。
「自由」
ときに持て余し気味になる「自由」だけれど、caféで感じる「自由」は心地良い。人と「つながる」ことは楽しいと思えた。「つながる場」が有るということは有り難いと感じた。
昔の私は「走って」いたように思う。本当は走らなくてもよいのに、まるで何かに追いかけられている様に前へ前へと…。
確かに走る爽快感はあるのだけれど、しんどかった。思い返せば、周りは貴重なアドバイスやヒントをくれていた。
「走らなくてもいいんだよ」
「そのままのあなたでいいんだよ」
しかし当時の私は、その声を振り切ってまだ見ぬ先へ…と言ったらカッコイイけれど、結構無茶苦茶なことをしていた様に思う。
何かこの先に答えが。何かスペシャルな事がー。
かなわぬ願望に夢を投影していた。
私にとってcaféは、気づきの場でもあった。
自分、自分、と閉じこもっていた私の心は、caféの中で少しずつ、そして確実にほぐれていった様に思う。
そして今の私は、かつての様には「走らなく」なった。「歩いている」。ときには立ち止まって道端の草花に目を止めたり、吹く風に季節の移り変わりを感じたり。
caféに通い始めて、そういう日々を重ねていく中で、自分の中から少しずつ湧き上がってくるものがあった。それは「肯定感」であったり、「自分を大切にする心」だったり、「日々の生活の味わい」であったり。
それは急激なものではなく、じっくりとした、どっしりとした手ごたえだった。
今は「走らない」から吹き付ける風も強くない。
昔の様な「風」は抜けたのかもしれない。
「風の出口」
もちろん周りの環境、状況もあるけれど、何よりも自分の中に出口のカギがあったようだ。
今は、これからどんな風が吹いてくるのか、ちょっとワクワクしている自分がいる。
「風の出口」は新しい「風の入り口」だから。
文/fumi
これからの自分
子供のころの僕、成人になるころの僕、社会人になってからの僕を振り返ってみると、元々の性格などは変わらないと思えるけれど、物事に対する考え方や自己分析力には、驚くほどに変化を感じる。
それは大きく分けて二つある。一つは挫折を味わう前の自分と、もう一つは挫折を味わった後の自分がある。
挫折を味わう前は、自分ができなかった事などに「なんでできないんだろう」とか、「僕が変なのか」とか考えたりしないで、ただ「できない」としか思わなかった。
挫折を味わった後では、全てにおいて「どうしてなんだろう」とか、「失敗しないようにしよう」とか、過敏で慎重になりすぎているように思う。
だったら、過敏にならず、くよくよ考えなければいいと、他の人にはそう思われるけれど、どうしても過敏に反応してしまうのだ。
どうにもならない自分をどうにかしようと、自己分析本などを読みあさったりした時期もあった。
この年になり、どうにもならない事は、どうにもならない。そのままにしておこうと思えるようになった。
臆病になる自分、過敏に反応してしまう自分、くよくよ考えてしまう自分も、そのままにしていこうと思う。
文/えもと
ナチュラル
caféに来て、一番印象的なのは、皆が自然体に過ごしていることだ。caféに来るのは強制じゃないから、行きたいときに行って、帰りたいときに帰る。自分の調子に合わせて、皆過ごしているのがいいなと思った。
caféに来ても、プログラムに参加するのは自由だし、疲れたら休んでもいい。スタッフもメンバーさんもとても優しくて、皆のことを尊重し合っているのも素敵だなと思う。
私はまだ慣れなくて、通うのが精一杯だから、まだ 自然体に過ごすまではいかないけど、もう少し肩の力を抜いて過ごせたらいいなと思う。caféが自分にとって、通いやすい居心地の良い場所になれたらいいな・・・。
文/いちご
過去の自分 今の私
場の空気を読まなかった。無口のくせにキレやすい。人は近づかない。話しかける人もいない。私から誰かに話しかけもしない。
つながるcaféに通所してずいぶんになった。いろいろあった。一番大きな出来事は弟の死。3年前の1月12日。51才で旅立った。翌日は彼の誕生日だった。
2019年1月24日。今の時間は13時32分。昼食を軽くすませた。食事の量を減らしている。節約を優先。生産的ではないが効率的ではある。
家族が生きていた時代。身寄りがなくなった今。
独りでいる時間に自由を感じている。誰かに気を遣う必要もない。弟がいた頃は、生活を共にしていながら本当に一言もしゃべらなかった。
弟の容体が悪化したのは死の20日前。最期の日々を自宅の介護ベッドで過ごした。 酸素吸入器をつけていた。歩行もできなかった。訪問看護師が来ても1時間でいなくなる。日常的に世話をするのは兄の私だ。
「兄貴と俺は仲が悪かったよな」と弟が言った。私は驚いた。弟は胸の内に溜めていたものを話し出した。やっとコミュニケーションがとれた。凍っていた雪が解けるかのような感じがした。
「おかゆを食べたい」と言った。私が買いに行った。はじめて向い合せで一緒に食事をとった。自分の中にあった障壁が崩れた。
弟は1月2日に病院に戻った。 その10日後に逝った。
一人暮らしが始まった。誰も側にいない。生活を立て直すのに必死だった。
弟が存命だった頃と今。荒んでいた過去の自分。年を重ねるごとに経験値は上がった。何が必要で不要か。できないこととできることを区別できる。
かつては「俺」、今は「私」。昔の自分はイライラした感情を表に出していた。礼儀がなかった。今は言葉遣いに気をつけ、挨拶をすることを心がけている。タイミングが悪くてできないこともあるけれど。人を思いやることに気持ちをもっていけるようになった。
頑固は今も変わらない。日常生活にベストを尽くしている。自分の生き方を選択している。
14時23分。1日が終わる。明日が来る。
文/白井勝美
私の変化
僕はつながるcaféに来てまだ間もない。
まだcaféに来ると緊張してばかりだ。
でもつながるcaféで学ぶことは多い。
いろいろなプログラムがあったり
いろいろな人達が通っていて
良い影響を受けていると思う。
僕は昔から人とかかわることが苦手な人間だけれど
つながるcaféに来て
少しずつでも自分に自信を持てたり
ポジティブな変化があれば良いなと思う。
今日もつながるcaféには
ゆっくりとした心地よい時が刻まれている。
文/ジロー
君が生まれてきてくれたこと
君が生まれてきてくれたこと
君が今生きていてくれていること
それをみんなが嬉しいって
思っていること
どうかそれに気付いて
自分のペースでいい
無理して誰かに合わせなくていい
焦らなくていい
人には自分のペースがあるから
そのペースで歩けばいいんだよ
詩/Ayak@
奇跡の体験が教えてくれた
本当の「自信」
自信とは何か。自信をつけるとはどのようなことか。
恐らくスポーツにおける自信は、練習を積むことによって出来なかったことが出来るようになったり、肉体を鍛錬したりすることによってより高い運動能力を発揮することで得られるだろう。そして試合に勝利するなどして、これらの変化を自覚・認識し、強固なものに育まれるものだと思われる。
しかしながら、果たしてそれだけで全ての人が自信を持つことができるのであろうか。
昨秋に出場したソフトボールの大会では、それまで持ち合わせていなかった新しい感覚が生まれた。それは“なんだかやれそうな気がする”といった自信に近い感覚であり“失敗しても大丈夫”とは異なる感覚である。
今回も優勝候補チームと対戦。先制され序盤から追う展開となった。しかし、この苦しい状況にも関わらず、我々が絶対にアウトを3つ取れることを信じて止まなかったし、苦しさを感じるどころか「この仲間と共にもっと長い時間試合をしていたい」という気持ちが強く湧き起こったのである。
常に失敗を恐れ、失敗しないよう緊張し続け、楽しむ余裕などこれまで全く無かった自分が、何故自信とも呼べるような思いを抱くことが出来たのであろうか。
このような感覚を手に入れることが出来たのには幾つもの要因があるだろう。その中から一部を紹介したい。
●主体的になる
自ら考え行動する。つまり、自分たちには何が必要か課題を見つけ、そのための練習メニューを考え実行する。シーズンはじめに攻撃よりも守備に重点を置いて練習に取り組むことを決めた。それはたとえ相手が強くても、点を取れる強みを生かしつつ守備力を上げれば勝利の可能性が増すという算段である。「アウトを取れる場面(選択肢)を増やす」ことをテーマに掲げ、連係プレーの練習を追加してみた。これは、両者の意思が繋がらないとアウトが取れない。
●共に確認をする(正しいと思えるか)
アウトを取れる可能性が高くなるが、選択肢が増える分その中から最適なものを選び出すのは難しくなる。選択肢の中から一つ選び出す際に「何を選んだらよいかわからない」という心配や「間違ったものを選んではしまわないか」という不安が生じる。実際に試し、アウトが取れたら「上手くいったね」と仲間と共に喜び確認し合うことで「正しかった」ということが理解できる。そうしてやってきたことが実を結べば“できる”ということを確かな感覚として体が覚えていく。このプロセスが徐々に決断の際に生じる苦慮を解き放っていった。
●信頼感(約束がきちんと守られることで生じる)
本戦中、連係プレーを実践する場面が多々あった。アウトを取ることが出来なかったこともあったが、打球を処理しない者が毎回必ずベースに駆け寄り、打球を処理した者がその者へ送球することが出来ていた。これは、自分たちの決めた事がきちんと守られている証である。自然と自分たちがしてきたことを信頼し、相手を信頼し、さらに自分の行動を信頼できるようになっていたからではないだろうか。
もちろんアウトを取れればそれに越したことはないが、実はアウトが取れたか取れなかったかという結果よりも、信頼感の有無が重要なのではないだろうか。
自分が如何なる行動を取ればよいのかを決断することにはとても勇気がいるが、それが信頼によって報われる体験はきっと安心を生み不安を小さくしてくれるだろう。
●役割を認識(自分には何が出来るか)
自分自身で出来ることを知る。それぞれが持っている資質や感性の違いを活かしながら、より良いものを模索する。
自身が持ち合わせる最高のパフォーマンスを実現できるよう夜な夜なトレーニングに励む者、メンバーを増やすために積極的に勧誘の声掛けをする者、ピッチャーの投球フォームを習得するためにネットの動画で研究する者、ボールを上手く投げられるよう自宅で日々腕を振り続ける者、等々。「自分には何が出来るか」を各々が模索し、お互いを尊重できたからこそ、幸運にも「失敗しても大丈夫」という感覚ではなく「やれる気がする」という感覚を得られたのかもしれない。
「失敗しても大丈夫」という感覚よりも「やれる気がする」という感覚の方が、前向きであるし強さの様なものも感じられる。それに「失敗しても大丈夫」という感覚では、失敗を恐れる者には多少なりとも恐怖心は和らぐのかもしれないが、頑張ることが生きる指針になっている者にとってはどうしても葛藤が起こったり違和感が残ったりしてしまうに違いない。
●存在の大切さ
尊重し合える環境。自分の存在が決して脅かされない環境。だからこそ気付ける、存在の大切さ。
学生時代に故障した右肩の痛みが悪化した際は、グラウンド隅で一人ランニングをしていたこともあった。以前の自分であれば間違いなく痛みを我慢し、皆と一緒に練習に参加していたはずである。それは自分の居場所を失ってしまう怖さからくるもので、絶対に自分のレベルを落としてはいけないという強い危機感の表れである。
しかし結局のところ僕が持ち合わせている技術・スキルが重要なのではなく、存在することが重要だということに気付き、皆と共にソフトボールをやり続けるためには肩を休ませることが大事だという考えに至ることができた。我が身を酷使し、高いスキルを有することで存在意義を見出してきた者には驚くべき変化である。
●存在しているということ
自分たちでチームを創りあげ、それが形になる。
これは自分が役に立つか立たないかという次元のことではない。ただ単にその瞬間その場所に自分が“いる”ということである。上手くいこうがいくまいが引き続きチームを形成し続けるということ。だからこそ「今」に集中することができる。結果は後からついてくるもの。
重要なのは、チームメートと共に悩み考えた時間であり、共に話し笑い合った時間である。積み重ねてきた時間は紛れもない事実であり、覆すことのできないものである。そして、そこに自分が確かに“いた”ということなのである。これは極めてシンプルでありながら、自分にとっては手に入れるのが最も難しかった感覚。自分の存在に常に恐怖を抱く者にとっては、奇跡とも呼べる変化ではないだろうか。
自分が存在していることに違和感が無く、むしろ当たり前のように思えたとしたらどうであろうか。信頼関係が築かれているチームメートは“仲間”と呼べるだろうし、心強い“味方”と成り得るだろう。
ここまで新しい感覚を手に入れられた要因について論考してきたわけだが、もしかすると自信というものは、自分を信じるということよりも、自分の中から湧き起こる意思に自然と信(まか)せることができる状態のことを指すのかもしれない。そして、それを実現するためには、自分の中に元来在りながらも消し去られていた心の中の感覚の「種」を芽生えさせることが必要不可欠なのではないだろうか。きっとこの「種」は、恐怖から絶え間なく生み出される不安要素や心配要素を超越した、まさに新しい生きる力となってくれるに違いない。
「練習を積み技術を習得すれば自信がつく」というドグマを信じてきた僕にとって、この体験は実に大きな発見となった。
今回得られた様な新しい感覚を今後もつながるcaféでの様々な体験を通じて涵養し、新しい僕の生き方を自ら創りあげていきたいと強く願っている。
文/キャップ
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