風の出口 第5号



  
人とのつながりがもつ力              

つながるcafé&つながる会通信 
第5号 2016/4/1発行
 

 

 

 

 
 風

  おおきな風が ひゅるりと 通った
  ちいさな風が さらりと 通った

  わたしの横を ちゅうくらいの風が
  はらりと 通ったから
  わたしは
  「ちょっと おしゃべりしませんか?」
  と 声をかけたけれど
  ちゅうくらいの風は 
  はらりと 去っていった

  風には風の 都合があるらしい
  風には風の 事情があるらしい

  わたしにはわたしの 
  間合いがあっていい

 

…… …… …… …… …… ……
2015年9月28日―。
さいたま市こころの健康センターのお招きを受け、
「ひきこもり相談センター講演会」に行きました。
つながるcaféのスタッフ1人とメンバー2人が語ったあと、
総勢13人で壇上に上がり、歌をうたいました。
会場の約80人の方々は熱心に耳を傾け、
いっしょに合唱してくださいました。


―――――――――― スタッフの語り

 「つながるcafé」は開所してから6年目を迎えています。   
 日々は、グループ活動と個別面談の両輪があります。
 グループ活動は、心のあり様のまなび会やテーマにそって語りあう語らい場、身体のワーク・茶話会、また本日聞いて頂くCD制作にまで発展した音楽活動、大会にもでているソフトボールなど多様なプログラムがあります。
 個別面談では、グループ活動での出来事を通じ湧き上がってきた自分の感情をみつめ、自分の心と向き合っています。
 自分の心と向き合うことはとても大変な作業で、取り組んでいるメンバーの方には大変な苦労と大きな力があるといつも感じています。つながるcaféは何の作業をしているのかと問われれば「心の作業所だね」とスタッフで話しています。

 こんな6年の日々の中で、今の私が感じていることを3つほどお伝えしてみます。
 1つめは、人とのつながりがもつ力です。
 過去の体験で、人とのつながりに傷ついた、または人とのつながりを作れなかった方たちがいます。そこには不安を超えた恐怖感といってもいいくらいの感覚があると思うのです。それを乗り越えて、というよりは恐る恐る場の中に入ってくる。その中で人の輪をぼんやり眺め、誰かと少し言葉を交わし、出来事を通じ何かを感じる。その日々を通じ、ゆっくり変わり、それが力になっていく。それが「安心感」のようなものだと言葉にできるのはずっと後なのかもしれませんが、そんな人とのつながりの実感が、少しずつ力になっていると感じています。

 もう一つは面談です。
 面談ではまず「思いをきくこと」を一番大切にしています。
自分の思い・考えに自信がない。それは「自分の存在に自信がない」に通じる深い感覚です。こう感じる自分がおかしいのではないか、自分が弱いからではないか、と自分を責めることすら多いのです。
 こう思う・こう考える・こう感じる・・・それがちゃんと伝わり理解されしっかりと受け止められる。受け止められた実感を丁寧に積み重ねていく。そのことで、そう思っていいんだ、こう感じる自分でいいんだという感覚が育まれていく。それは、自分が存在していていいんだ、という「存在の実感」にまでつながっていくと思っています。

 最後に、つながるcaféでは就労を勧めたことはないのです。これについてはスタッフで随分悩んだり話し合ったりもしました。でもこの6年間で働くことを選んだ方が結果的にたくさんいらっしゃいます。働きたい思い、働いてない自分、ちゃんとやれてない自分を責める気持ちは誰よりも彼ら自身に強くあるのです。
 人とのつながりを感じ、自分が存在していていいと実感が育ち始めたとき、彼ら自身が「自分がなにをしたいのか」と語りだし少しずつ動き出すのだと、つながるcaféで共に過ごす時間の中で教えてもらいました。      
 
 


―――――――――――― メンバーの語り その1

 今の私があのときの自分の声を聞くと、こんな風にいっています。
 苦しいよ、辛いよ 助けて、誰でもいいから。
 どうしたらいいの。だれか、だれか。
 
 でも当時の私は自分自身でさえ私の声がよく分からなくて逃げて逃げてその場をしのいでいました。

 今引きこもっている人は何を感じているのでしょうか。
 心から楽しんでいますか? 
 目は輝いていますか?

 私の心が不調を訴え始めたのが19歳、大学に入ってすぐでした。念願の音楽大学に入学し薔薇色の学生生活を送るはずでした。しかし周りはピアノの上手い人ばかり。実力社会になかで私は一気に絶望してしまいました。
 それでも毎週レッスンがあり曲を仕上げていかなくてはなりませんでした。テクニックなんてこつこつ何年もかけて身に付くもの、私には這い上がる気力さえ残っていませんでした。先生はやる気のない子としかうつってなかったかもしれません。
 じゃあ相談すれば良かったとお思いでしょう。私はその時の状態は自分がダメだから仕方がないんだ。先生に言うなんてできないと考えてもみませんでした。でも大学三年の頃、担当の先生に泣きながらもう弾きたくないって訴えました。爆発したのですね。
 それまでの三年間、顔は青く、目はうつろな学生でした。授業中はネットで小説を見ていたのでパケット料金がうん万円になっていた時期もありました。
 でもそうしないと辛い現実に対応できなかったのです。

 イヤ~、ツラかったな(^-^;

 家ではいつもイライラしていて、自分自身に他人に腹をたてて、正しいことを指摘されると、怒りだし、でも回りに甘えているという状態でした。
 常に現実から逃れるためゲーム、マンガ、ネットの世界へ行っていました。大学を卒業しても私の生活はあまり変わりませんでした。
 いわゆる引きこもっていた時期、コンビニにも行っていたし、二年間週一でバイトもいっていました。でも、頭にキリがかかっていて、いつも不安、不満、やりきれなさなどを感じていたように思います。引きこもっているというより現実から逃げていたといった方がシックリきます。

 私が何に苦しんでいたかといいますと
  「親たるもの~ねばならない。
   子供の見本になる人格を備えてるべきだ。」
 この価値観に随分苦しめられました。
 自分が勝手に作ったものでしたが、無意識にがんじがらめになっていました。

 両親と接するたびに親としての期待と私への応対という現実のギャップに悩まされていました。
 私自身を認めてほしい・肯定してほしいという苦しみが常にありました。

 こんなに苦しいのは父のせいだ。
 母親を省みなかったせいだ。
 家族がぐちゃぐちゃになってしまった。
 そんな母親の愚痴を聞いて支えていたのに
 感謝の気持ちもない。
 みんな自分勝手。
 私が苦しんでるのは知ってるの?

 もう頑張れないよ。
 お父さんお母さん、私をみて。
 ここにいるんだよ。助けて。

 人のせいにするほど楽なことはないと思う。両親だって人間、大人だって不完全なものだと、受け入れざるを得ませんでした。
 自分を守るため、両親への期待をあきらめ、「私が私をケアしよう」と思いました。

 
 では私の復活の道のりをお話ししたいと思います。
 両親との葛藤を少しでも軽減するため、離れて暮らすことにしました。
 一人暮らしの私はほとんど家事ができず、コンビニやスーパーで食事を済ましていました。そういうこともあってヘルパーさんをお願いしました。最初は来てくれるヘルパーさんがとてもストレスでした。しかし、部屋をきれいにしてくれたり、一緒に食事を作ったり、慣れてくると何でも話せるお母さんのような存在になりました。結局3年お世話になり、とても感謝しています。
 また訪問看護も利用して、薬に管理や調子の悪いとき良いときお話を聞いてもらって、助けてもらいました。

 こういった公的なサービスを受けたことは今思うととても良かったと思います。定期的に外の人と嫌でも接するし、明日来るとなると散らかし放題ともいかないので片付けをしたり、少しだけど生活にリズムが生まれました。

 それが半年くらい続くとやっと通所してみようという気がでてきました。
 そこでつながるcaféに行くことになりました。
 最初は人と話すこと回りに人がいることもしんどくて一時間もいると疲れてしまいまました。
 そのあとデイケアを利用しつつ一年半くらい、caféでの面談も受けながら体と心を整えました。面談の内容は母親へのこじれた思い、生きづらさに苦しむ自分のことなどを話していましたっけ。

 薬の調整がやっと上手くいき、以前より就労の気持ちが強かったこともあり、数社アルバイトで受けてみました。その中の一つが今の職場です。
 最初はなれない環境で戸惑い、悩みました。でも今まで経験した苦しみ葛藤が私の力となって助けてくれました。苦労した分、知らないうちに強くなっていたんですね。どんな経験も私には財産だと確信したのでした。

 今でも注意されたり、接客で嫌なことがあると落ち込みます。でも、落ちてもすぐ起き上がってくるのです。自分で切り替えが知らず知らずにできるようになっていました。
 外の社会に出て一気に成長したのは事実です。家のなかで自分の心と自問自答していてもここまで成長できたかと言えば、社会性と言う意味ではNOです。

 今思うと母親も苦しんでいたんだと思います。しかしどうしたらいいのか分からなかったのだと今になって感じています。
 学費の助けにと正社員で働いて、子供はあんなに素直な子だったのに荒れてしまい母親は何を思って過ごしていたんでしょうか。
 以前の私なら母親を責めて終わりでしょうが今回この原稿を書いていて思ったことがあります。母も助けてほしかった、苦しかった、ということでした。

 その当時、引きこもりの情報も少なく、テレビや新聞で取り上げたり、行政などの取り組みや保護者たちの集まりなど、今に比べて少なかったように思います。
 今日お集まり頂いた皆様は多少なりとも引きこもりの問題に興味を持ち、そして何とかしたいと思われていらっしゃると思います。身近な人のことで悩んでいる方もいる方もいらっしゃるでしょう。しかし、関心を持っている、どうにかしたい思っている、そして誰かと共有しようとしている。それだけですばらしいです。

 弱った当事者にとってやみくもに動くのって結構大変なんです。結局自分で動かないとなにも始まりません。だけど本人が動き出したとき手をさしのべられるように情報をストックしておいて欲しいなって思います。

 あなたは一人ではありません。
 手を差しのべたい人は回りにいるのですから。

 私、今34歳なんです。
 ホント10年前に戻れたらって何度も思いました。それだけ10年前の自分に後悔していたんですね。

 44歳の私は今の生きざまをみて何を思うのでしょうか。それは10年後にしかわかりません。
 でも、人生で今、このときが一番若いのです。
 若いうちに失敗と成功体験を経験してだるま式のメンタルを手にいれていきたいと思います。

 冬になればまた春が来るようにちょっと心を割りきってみませんか。なんなら土になってみませんか。自分に栄養を蓄える時期だと。無理して結果を出さなくてもいい時期。たくさんの栄養がいきわたった土になってみませんか?

 春が来るのはもう決まっています。
 そして春が来たとき一緒に芽となって新しい世界にとびだしていきませんか!!          

 

 
** ** ** ** メンバーの語り その2 

皆様、こんにちは。
僕は本格的に引きこもっていた時期はあまりなかったのですが、人とのかかわりが全くなくなってしまった時期は沢山あります。人が離れていった事もありますし、意を決して人とさよならをしたこともあります。
その後で、誰もいなくなって、結局社会的引きこもりみたいな生活を送ったりしていました。

僕は、昔は一人でいるのがあまり好きじゃなかったんです。
だから、毎日、人-それも家族とは違う外の人と話して、友達になって、なるべくならずっと話したいと思っていました。
 今も思うのですが、人と接して、はじめて自分があるんだなぁって思うんです。今は家族とも、ちゃんと接して、自分を確認する対象にもなりました。

人間関係の作り方は今も相当下手なんですが、それでもちゃんとした人と交流を持てた時期もあるのだから、下手でもいいんだと思っています。
 昔は、もう悩みまくっていました。
「どうしてうまくいかないんだ」
「どうしよう」って。

友達ができても、友達が去っても、ずっと悩んでいました。
今は、欲張り過ぎたと思っています。
 毎日、悩んでいるから、余裕が無くなった時に心を閉ざしてしまう。
僕は、僕のすべてを知ってほしいという想いがずっと強かったんです。そういう事だと、とにかく人と深い仲になって、自分とその人がツーカーになるくらい親密にならないといけないと、考えるというより、こだわっていたんです。
それが長所になった事も、少ないけれど、ありました。でも、短所になる事が多くて、非常に悩んでいました。

ある日―、まぁ、つながるcaféに来てからなんですが、
僕のすべてを知ってほしいって想いを人にぶつける事が、徐々になくなってきました。
他のもの、たとえば音楽の創作やら、写真を撮ることやら、そういうのにエネルギーをぶつけられるきっかけができたので、今はそうしています。
作品としても残りますし、個人的にはいろいろな人の表現が好きなので、それを参考にしながら自分の言いたい事を作っていこうって感じになります。

創作も、人間関係も、下手でいいんだろうなぁって、考えやこだわりの切り替えが上手くいったときに、思いました。
上手くなるのは大事なんですけど、どっちかというと、上手くなるより、気持ち良さとか、躍動感とか、そういうものが大事なのかなって思っています。言いたい事、やりたい事をやれば、上手さなんて本当は関係ないのかなって思っています。

話はそれましたが、僕は気持ちが弱くなると、たまに僕のすべてを知ってほしいってなる場合がありますし、一番は、どこかで人恋しさがずっとあるように思います。
今は、僕は、この人恋しさに適度に付き合いながら、新しい世界を見たり、自分にガッカリしたりして、でも、それでもいいんだって常に思えるようになれたら、それはそれでいいことなのか、悪い事なのか、今はわかりません。
が、振り回されるのも、制御しきれているのも、何となく楽しいです。

つながるcaféに来たのは、前のデイケアを、何度も身体の不調で悩まされたため、長期に休んでいたからです。
つながるcaféに最初に来たのは、2011年3月11日です。東日本大震災の時、僕はつながるcaféに居ました。これは、何かの縁かもしれない。そう思いました。

つながるcaféで驚いたのは、とにかく自由なんです。
いつ来てもいいし、いつ帰ってもいい。つながるcaféの終わる五分前に来てもいい。けど、五分後には追い出されますけどね。
そういうことは、僕は学校でいじめられていたので、学校を意識しなくて済むのもあります。何時までに来てください、そこからプログラムをやります。何時までに来なかったら、閉め出します。それだと僕は学校の意識になって、辛い体験を沢山思い出すので、精神ではなく身体に物凄い反応が出ました。

つながるcaféでは、恐怖で怯える態勢になりづらいので、少し攻めの姿勢というか、自分に対して実験ができるんです。
そうすると、のびのびとやれるんですよね。
何事にも実験精神が生まれる。

僕は何かをやってみないとわからない人間なので、人の迷惑にならない程度に、何かの思考を実践するようにしてます。
失敗したら、泣いてもいいんです。気が済むまで泣いたら、もしかしたら歩く体力が出てくるかもしれない。何か自分の身になるものが思いつくかもしれない。
失敗をするなというのは、凄く難しい事ですし、人なら誰もが失敗して当然なんです。
人は失敗を責めるかも知れないけど、自分は自分の失敗を責めるんじゃなくて・・・。
もちろん、大きな出来事の時は悔やむことはいっぱいあります。けれど、今は悔やんでも、未来は違うかもしれない。
ずっと考えが同じままの人っていうのは、僕は見たことがないのでわかりません。ですが、どんなことがあっても、というか、どんなことでもあるから、人はその時その時で、過去の失敗を再定義できるようになるんじゃないかなって思っています。
時間が近ければ、悔やんだ思い出にしかならないです。でも、時間が離れてくれれば、もしかしたら何かを得られるかもしれないです。
僕ものびのびとできるようになったので、そういう考えになったということもあります。

僕はつながるcaféという場を、のびのびとできる場であり、だからこそ実験精神を持っていられる場だと思っています。
まぁ、もちろん、人間で、しかも病気持ちなので、迷惑をかける事もありますが、でも、それでもいいからまた来なさい、って言われる場なので、また行けるきっかけにもなります。
そんな場で、なぜかいつの間にか、つながるcaféの音楽制作に携わったりして、なぜかCDも作ってしまった。
好きな事やできる事をやらせてくれる場は、今までを考えると、ありえなかったんです。
だから、しばらくはつながるcaféでしっかりと勉強をしようと思っています。

未来の事は全く考えていません。
考えない方が、毎日が新鮮だし、余計な悩みもないし、何より明日の天気なんて予測通りにいかない事もあるじゃないですか。
その時になって考えて、その時になって悩んで、その時になって楽しむ。
不安は、自分にとって必要なものや答えが出そうなものだったら対峙して、自分じゃどうにもならないとか答えが全く見えないとかで不必要なものだったら、少しだけ受け流しています。
僕の最近の実験精神の成果です。

これで、話を終わらせていただきます。
ありがとうございました。       

――― 僕らの音楽紹介―――

つながるcaféの音楽の歴史は、バンド活動から始まりました。今日は「だいじょうぶの歌」を
皆様と一緒に歌って楽しみたいと思います。
声に出して歌うのも大事ですが、
心で歌っていただいても構いません。
音程が揃わなくたっていいんです。皆様が好き好きに
口ずさんでいただければそれだけで嬉しいですし、
好きに歌うと、楽しいですよ!
この曲はYouTubeで配信しています。
「だいじょうぶの歌 つながるCafé」で検索ください。
聴く方が少しでも安らぎの時間をもてたら
嬉しいです!